母親である私は「先生」になれるのか


今、sesameさんのブログが熱い。「親は、どこまで子どもに勉強を教えてあげられるのか」という疑問に対しての意見交換が、記事やコメント欄でくり広げられています。悲しいかな、家庭学習暦まだ1ヶ月未満の私には、しっかりとした意見を述べる知識も自信もないのですが、ただ思うことがひとつ。


ブログランキングへ




どんなに長い時間を子ども達と過ごし、教材を買い与えて並んで勉強机に座り、問題の解き方を教えてあげることがあったとしても、私が子ども達の「先生」になることは決してないと思っています。正確に言えば、なりたくない。ならないようにしている...と言った方がいいかもしれません。


子どもにとっての「先生」は、小学校・塾・家庭教師です。もちろん、家庭で親が子どもに教えるという行為自体を、頭から否定しているわけではありません。こんな私だって子ども達がつまずいている問題を前に、あ〜だこ〜だと教鞭(もどき)を執ることだってあるのですから。それでも、家庭学習における私の役割は何かと聞かれたら、その答えに迷いはありません。


マネージャーです。


  • 勉強しやすい環境を整え
  • 勉強しようという意欲をもたせ
  • 勉強が身につくお手伝いをする


そんなマネージャーに徹しようと思っています。


親が子どもに勉強を教えようとするとき、2つの壁にぶつかるのではないかと思います。1つは、自分が理解したときと同じ考え方や方法で子どもが理解してくれるとは限らない事実。もう1つは、「ゆとり教育」にも代表されるように、時代によって変化してきている学習内容という現実です。子どもの教科書を読まずして、親は教えられない。教えてはいけない。その自信がないからこそ、私は自分の立場をマネージャーと読んでいるわけなんですけれど。


教育者になるには、それなりの知識がいると私は考えます。話はそれますが、私は28歳から英語の学びなおしを始めました。英検すら受けたことがなく、コミュニケーションどころか読解も聞き取りもできない、情けない英語力しかありませんでした。それでも周囲に呆れられるほど勉強を続けていましたら、なんとか日常会話に困らないレベルになり、英検準1級にも合格でき、今では英会話サークルの講師を担当させてもらえるまでになりました。こうなって、ひとつ自信がつきました。子どもの英語教育に関しては、私は「教えていく」自信があります。なぜか? どっぷりと英語に浸ってきたからです。英会話サークルの講師という立場にたたせてもらって初めて、自分が理解していることを人に伝える難しさを知りました。「わかる能力」と「教える技術」は、別物なんですよね...。そもそも教えるためには、その学科に浸るほどの覚悟がないといけません。学習者がどこでつまづくのか、どこが面白くないと感じるのか、どう伝えれば理解しやすいのか、教える側自身もわかっている(わかろうとしている)ことが必要になってきます。
英語に関して言えば、学習者として私もかなり苦労してきました。そのツライ経験が、今度は教えるという自信にもつながっているのだと思っています...。


「小学生レベルの学習でしょう? ちゃんと習ってきたことなんだから」なんて思っても、時代の流れには逆らえません。その恐怖心からか(?)、私はたかが小1レベルの問題であっても、答えあわせの時は必ず「解説」を手元に置くようにしています。教えてと子ども達に頼まれたときも、手ぶらでは座りません(というか、座れないのです...)。私が小学生だった頃なんて、もうはるか昔の話ですもの。時代遅れかもしれない解き方を、子どもに与えていたとしたら大変です。


というわけで、先月末から私も算数の勉強をはじめました。事典やら参考書を読みあさっています。子どもに教えるためではありません。マネージャーとして、子ども達にアドバイスを与えられるように準備しているのです。解き方を教えるのでなく、解き方のヒントを与えたいのです。そうして勉強してみると、わかったつもりになっていた問題でも、自分の考え方と違う解説が載っていたりして、ハッとすることがあります。それも1度や2度じゃない....。ますます「先生」にはなれるもんじゃないと思ってしまうわけです。

勉強するのは、子ども達。
教えるのは、先生。
見守るのが、親。

今後どのように変化していくのかはわかりませんが、当分の間、わが家の家庭教育の図式は、これでいくのが1番なようです。


ドラえもんの小学生らくらく勉強法 (ドラえもんの学習シリーズ)

ドラえもんの小学生らくらく勉強法 (ドラえもんの学習シリーズ)